『カリオストロの城』がコケた理由

昨日2008年5月2日、日テレで『ルパン三世カリオストロの城』がHDリマスター版で初めて放送されました。数年に一度放送され視聴率は10%台〜20%台と常に高視聴率をマークしています。宮崎アニメというブランドが確立された今では押しも押されぬ人気を誇る『カリ城』ですが、劇場公開時は全く人気がなく、興行成績は惨憺たるものでした。

この理由について岡田斗司夫は「当時はヤマトや999などSFものを主体としたアニメブームの最中で、カリ城のような連続活劇は人気が無かった」と言っています。また大塚康生も、ルパンの劇場第一作である『ルパンvs複製人間』がSF的作品であったことをよく取り上げ批判しています。Wikipediaでは「ファンは赤ルパンを支持していたのであり、復古調の青ジャケットのルパンに距離感を抱いた」ということや、劇場第一作以降子供向けの宣伝へ転換したことなども理由に挙げています。

しかし、ぼくはこうした理由にちょっと違和感がありますね。「SFものでなかった」というのですが、確かにそれはあるんですけど、例えば『カリ城』の直前に宮崎駿が作ったTVシリーズ『未来少年コナン』も視聴率が低く不人気でした。これはSF作品で、ヤマトと同じく地球が壊滅的打撃を受けた後の復興を描くものです。いわゆる終末物です。

つまり、SFであるか否かではなく、そのキャラクターに問題があったのではないかと考えます。『カリ城』や『コナン』のキャラクターは、『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』のキャラクターと同一視されました。これら「世界名作劇場」は大ヒットし高視聴率をマークしていましたが、そのために国民的な広がりで「良心的なアニメ」「文部省推薦的お堅い真面目なアニメ」「大人しいアニメ」「お色気や激しい戦闘やバカなギャグがないアニメ」というイメージが出来上がっていました。

宮崎駿はもちろん「世界名作劇場」を支えた中心的スタッフのひとりであり、そのようなイメージを引きずるのも仕方の無いことです。しかし「世界名作劇場」のイメージを作り上げたのは高畑勲やその他の演出家たちだったわけです。宮崎駿の演出スタイルは「良心的であってもブラックなものを同時に持っている」「アクションやメカが出てくる」「バカなギャグで笑わせる」というもので、「世界名作劇場」とは相容れない要素が強くありました。

そうした「世界名作劇場」の枠をはみ出た演出スタイルと、国民的に確立されてきた「世界名作劇場」のイメージとの齟齬が宮崎駿の失敗の原因でしょうね。宮崎駿としては、本当は全く違う傾向の作品をつくるに際して、世界名作劇場で確立されたキャラクターイメージを引きずらなければよかったのでしょうが、東映長編以来ずっとこれでやってきたのだし、今さら捨てるわけにはいかない、というよりこのキャラクターでやるのが当然、これ以外考えられないということだったのでしょう。

世間としては、「世界名作劇場」の大人しい枠をはみ出さないはずのキャラクターが、SFの世界でメカに乗ってアクションをしたり、アダルトな世界で泥棒をやったり色恋沙汰になったりするということを想像することが出来なかった。それが宮崎アニメ初期の挫折の最大の原因だと思います。

宮崎アニメはその後TV『ルパン』や『名探偵ホームズ』を経て『ナウシカ』でようやく軽くヒットするわけですが、『ナウシカ』ではスタッフを一新したり主人公を女性にしたりと、売れるための工夫が様々に見られます。それでもナウシカの段階ではまだ「名作劇場」のイメージを少しひきずっていたと思いますね。ナウシカがTV初放映されるとき、「女の子はナウシカを見たい。男の子は裏番組を見たい」という図式があったんです。近所の子供がそう言ってました。男の子は「ナウシカのような軟弱な映画を見ない」ということなんです。

ぼく的に考えると、『カリオストロの城』がコケた理由は以上のようなことが考えられるのですが、意外に語られていないのではないかと思ったので記事にしてみました。では。

テーマ : アニメ - ジャンル : アニメ・コミック

COMMENTS

No title

演出スタイルの流行というのもあるでしょうね。
カリオストロの城の時点ですでに、
東映長編の演出を引き摺っている宮崎駿は「流行遅れ」でしたし。

まあ21世紀になってみたら立場が逆転してて、
宮崎駿的な演出が最先端で、虫プロの系譜の演出は「流行遅れ」となっているのは
なかなか面白いですね。

No title

うーんそうですねえ宮崎演出が流行遅れだという評価はあまり聞いたことがないです。様々なアイディアを、東映長編やその他海外のアニメ、それに旧ルパンなどから持ってきているということについては色々言われ続けてきましたね。

『ゲド戦記』公開時にジブリ提供で『王と鳥』(旧題『やぶにらみの暴君』)を公開したときには、高畑勲と太田光がトークセッションを行い、その中で『王と鳥』の中から半ばパクリ的にアイディアを『カリ城』にもらっていることも話題に上がっていました。この模様は『王と鳥』のDVDに収録されています。

しかし、少なくとも鑑賞した人から「時代遅れだ」という評価を聞いたことはないですね。何よりも面白さが先に立っているし、新鮮な感覚を失わないこと、緻密な演出であることから、そういった感想は生まれにくいのではないでしょうか。

「流行に乗ってない」ということは言えるでしょうね。

No title

>少なくとも鑑賞した人から「時代遅れだ」という評価を聞いたことはない

それが『今』の感覚でしょうね。
だから
>数年に一度放送され視聴率は10%台〜20%台と常に高視聴率をマーク
するわけです。

『昔』の感覚で言うと、例えばアニメ様は

>自分の事で言えば、本放送時に『未来少年コナン』に当惑した思い出がある。実に面
>白い。かつてないくらいにワクワクした。だけど、当時のファンにとっての主流と、ビジュ
>アルも世界観も違いすぎた。アニメのスタイルもクラシカルだった。『宇宙戦艦ヤマト』
>や『宇宙海賊キャプテンハーロック』が最先端だとすると、『未来少年コナン』はあまり
>に「古いアニメ」だったのだ。
http://www.style.fm/as/05_column/animesama67.shtmlより)

と言っています。
この場合の『アニメのスタイル』とは、元の記事を読んでもらえば分かると思いますが、
作画・演出その他諸々を含めたものです。

No title

そうですね!そのコラムは読んだのに存在を忘れていました。これはぼくの間違いですね。失礼いたしました。

この文脈をぼくなりに解釈しなおすと、「古いアニメだった」というのは、ぼくが言った「良心的でお堅い、大人しい、お色気や戦闘やギャグがないアニメ」という世界名作劇場の一般的認識に置き換えることが出来るのではないでしょうか。この場合、「まんが映画」のことですから、もう少しくだけた「良心的なつくりでお子様向けの比較的おとなしいアニメ」とまた置き換えないといけませんね。

『未来少年コナン』をそういう枠組みに当てはめて見ようとした人も確かにいたということを考えれば、「古いアニメ」という認識が一部にあったというのも頷けるところですね。

しかし、ここであえて食い下がるとすれば、小黒さんが『コナン』を本当に見たとして、「古いアニメだな」という感想を持つことが出来たのか?という疑問が持ち上がってきます。第1話で出てきた多弾頭ロケット、第2話の岩投げ、第8話の海底でのキスシーン、第24〜25話のギガントなど、枚挙に暇がありませんが「古いアニメ」である東映のまんが映画や名作劇場といった枠を完全にはみ出した描写が随所に見られます。

これを「まんが映画なのだ」という認識に帰納することで小黒さんは本当に納得が出来たのでしょうか?もしかしたら、小黒さんが『コナン』を見る前と見た後の感想を混同してしまっているのではないか?という気さえしてきます。

とにかく、「古い」という印象を持っていた人がいたことは間違いないですね。ごめんなさい。

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